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日本全国を歩いた岡内千金丹のはじまり【千金丹の歴史】

日本全国を歩いた岡内千金丹のはじまり【千金丹の歴史】

千金丹ケアーズは、これまで様々な薬をはじめ、食に関わる製品をつくり、皆様の持続的な健康を考えた商品をご提案してきました。この商品は、時代と共に求められる形や皆様のお手元に届き使いやすい形に変化してきましたが、考え方は千金丹のはじまりとなる「岡内千金丹」から一切変わっていません。代々受け継がれてきた岡内千金丹の考え、そして歴史を少しご紹介いたします。

 

はじまりの土地「讃岐」

讃岐の国、香川県は瀬戸内海に面し、気候は温暖、古来天災による被害が少ない風光明媚なところです。その讃岐に、明治、大正を経て、昭和も戦前までの3代にわたって、全国に販路を広げた讃岐薬業、「岡内千金丹」の薬売りがありました。ここに言う薬とは、すなわち今日の家庭薬です。この時代、讃岐は家庭薬王国と言われていて、最盛時には県下に大小300余の家庭薬製造業者があって、その生産高は讃岐の重要産業のひとつでもありました。

 

明治天皇の伯母も服用した薬「千金丹」

この讃岐売薬の一つ、“千金丹”の歴史は、初代・岡内喜三が考案した事から始まります。“千金丹”は板になったチョコレート色の薬で、銀が塗ってあり、1センチ角に筋がついていて、折ってしゃぶるようになっています。特に腹下りには良く効いたそうで、「永代記録」によると、明治天皇の伯母にあたる京都瑞竜寺の村雲尼公が明治20年3月に各地を巡釈して高松の日妙寺に泊まった際、尼公が腹痛を発されました。そこで、“千金丹”を差し上げ、服用したところ早速治ったので、大層お喜びになり、村雲尼公の名前を商標に用いる事を許されたとのことで、この後“千金丹”は大きく世に出回るようになるのです。

 

千金丹を日本中へ届ける

こうして“千金丹”を売るために、総勢200人から1000人余りにも及ぶ薬売りの行商人が、全国各地に出向いていくのですが、持ち物道具から、衣装、呼び声(歌)などにまでいろいろ趣向を凝らして、各地の大人から子供まで大層人気を博したそうです。

 

全国に響いた千金丹の歌声

“千金丹”と染め抜いた白い洋傘、股引きをはき、大きな鞄を肩にかけて、歌を歌いながら渡り歩く。声をテノールに張り上げて歌う文句は次のようなものでした。

本家はさぬき高松 岡内家伝の千金丹
そのまた薬の効能は 第一胃を整い熱冷まし
タンセキ・リウイン、胸痛み
しぼり腹には下り腹 頭痛めまいに立ちくらみ
せんき、せんじゃく胸痛み 子供方には御カンキョウ
舟車の酔いに二日酔い さぬきの東は琴平より八里東の高松市
岡内家伝の千金丹売り子の真黒 クロスケー…エ…エ…

売り子たちは、毎年、春3月に高松を出発し、10月の高松、岩清尾八幡の祭り前に帰郷したといわれ、この行商の一団は、全国各地で一種の風物詩であったそうです。

 

明治八年、初代岡内喜三が清涼整腸剤「岡内千金丹」。その後、明治、大正、昭和、平成と、生薬を使い自然に寄り添った薬の製造を行ってまいりました。私たちが薬と同じくらい健康に大切だと考えてきたのが食事です。その考えのもと、栄養価の高いごまを毎日の食事でおいしく手軽に取り入れられるよう「パンに塗って食べる黒ごまペースト」を開発したのが約30年前になります。今後も「健康」、「美味しさ」の視点を大切にし、お客様に満足していただけるような商品を提案して参ります。